2010年07月

2010年07月31日

なぜ捨ててきたの?

■観念少女
副作用で眠いのはいいが、睡眠できるかと言うと別の話なので困り果てている。

「気の狂うほどに、オナニーしてやる」と決心したときほど、心が燃える瞬間というのはなくて、そのときはいまでも中学生のときに抱いていた(あくまで自己完結的な意味合いで)性的衝動を抱くことができる。とは言えその思いが果たされることは今では完璧に無い。

ある人とお話をしていて、僕にとっては気分転換程度に思っていた機会だったのだけど、不意に、「本当に進みたかった道と今進んでいる道が違うと気付いたとき、どうするべきか」という問い掛けをされた。どうしてこんな話になったのかは覚えていなくて、本当に突然の質問だったように思う。僕は「道が違っている」ということに気付いていること自体が素敵なことなんだろうと思うわけだが、こういった疑問、と言うほどでもなくとも違和感を抱いてしまう人は生きていくのにいくつも困難が伴うのだろうと心配してしまう。
といったことは口に出さずも、会話を続けていくと「正しい生き方って何?正しいって必要?」という質問をされた。何か試されているような気がしないでもなかったわけです。とは言え「正しい」という言葉は生き方について悩んでいる人に投げかけるには相当の覚悟が必要な言葉なので僕は言ったりしないのだけど、向こうから聞かれてしまったので「小さいころから勉強して社会的に良い大学に入って社会的に良い職業について社会的に良いお給料を貰って社会的に良いコミュニティに参加して社会的に良い旦那さんを貰って社会的に良い家族をつくることが正しい道だよ」と言うと、面白い顔をされたので、そんな顔するんなら答えはすぐじゃないんですかということで、ちょっと安心したりもした。社会人で「正しさ」に悩んでいる人はとても好きなのだけど、とても辛そうで自分も辛くなってくる。社会人になる自信は無い。生きることは辛い。例えば商売をするにあたって成功することと「正しさ」を照らし合わせて考えると、胸が苦しくなる。誰だって辛いということだろうと思う。この辺の軋轢は15、16世紀のヨーロッパで「徴利論」という凄まじい理論の展開に次ぐ展開(言い換えると、つじつま合わせ・言い訳)によって克服されるのだけど、日本でそういった苦難があったかどうかは知りません。最近「正しいってなんだ!」という声を非常によく聞く。「間違ってるってなんだ!」という話になると無茶苦茶面白くなるんですけどね。

なかなかグッとくる人でした。また会えたらいいなと思った。

ところで正しいって何ですか?

■途切れない悲しみの果てはどこ?
本当は好きか嫌いかということについて考えたい。正しさとか間違いとかは遥か久遠の彼方。
金儲けが嫌いなんでしょとか聞かれたり思われることが多くて心外なのですが、お金はあればあるほどいいと思う。さらに職種に貴賎はないと思う。ただ「こうすれば幸せになるよ!」ということを売り物にしている人々について、叫ぶ人々については生きる価値などないと思っている。滅べと思う。誰だって不安を抱いて生きているわけだから、お金儲けの目の付け所としては的確なものだとは思うわけですが、本当に不快。でもって意外にこういう考え方は世の中に溢れている。お金がホントに欲しい人はこういうアプローチがいいと思いますよ。どういう形にするかは腕の見せどころです。
こういう文章の書き方はとても疲れます。自分の考えたことを知ってもらいたいとはあまり思わなくなった。

で、お話してた人に「将来の夢はなんですか」と聞かれて、興味をもたれるのは少しだけ嫌だなと思ったんだけど、僕にも拙い夢があって、かと言ってそれが拙い夢だとは思っていないんだけど、口に出したら何ともいえない気分になった。ジョルノ・ジョバーナには夢がある。

一日に十曲くらいしか聴いてない。興味持てない。


ユニコーンがどうしてあんなに幸せそうなのか考えて貰えたら分かってもらえる気がする、何を言わんとしてるのか。でもユニコーンが幸せな理由に気付いたら、くそ羨ましい気持ちで一杯になる。



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