2012年11月
2012年11月29日
2012年11月26日
2012年11月14日
キャラクターの一貫性
■土曜日に『悪の教典』を観ました

たぶんいつだったか貴志作品に触れたことは何度かあると思うのですが、安直に言ってしまうと、『黒い家』のサイコパス妻が学校の先生だったら…を作品にしたのが『悪の教典』だと思うのですが、観終わってから何点か気になることはあるかなぁと思いました。
映画におけるサイコパス(シリアルキラー)像っていうのが勝手に自分の中で出来上がっていて、つまり彼らはすごいキッチリした価値判断で行動し、その価値判断以外に行動を阻害する観念は無い、そんな人間たちがサイコパスであるんだろうと思うんですよね。
で、この映画で一番引っかかったのは、「自分にとって都合のいい様に世界をデザインできる」ということに対して何の疑いも持たない男が、そういう価値基準に則って生きているのにも関わらず、教師として教え子と性的関係になることを選択したことなのです。
話の流れから言うと、教え子から言い寄られて受け入れたわけだけど、一番ベストなのは躊躇せず拒絶することだろうと思うのですよね。リスクが多過ぎるし、て受け入れた時点でバレてるし。バレたのは本の上の話でもあるけど、そうだとしたら脚本の問題なのでは…と思うわけです。
何かしら計画に破綻が無いとストーリーが始まらないし、その破綻を解決するために人を殺すことを厭わない、その厭わなさ加減がこの映画の惹きなので、前提として破綻が必要なのは、そりゃそうなんですけど…。
『黒い家』の奥さんは「金が欲しい」から家族に保険掛けて好き放題するわけだけど、これくらい価値基準がシンプルでないと難しいのかなと思います、シリアルキラー系は。
そもそもよく考えると、「自分にとって都合のいい様に世界をデザインできる」と思い込んでいる男が、「人を殺す」選択を生きていく過程で必然によって選ぶのは有り得るけど、快楽殺人者に誘われて一緒に殺人の経験値を上げていく選択を選ぶ必然なんてあるのか…と。その必然が描かれていればまた違ったのか。
■とは言え
観終わってから、思い起こして、書いている、に過ぎないだけで、鑑賞中はかなりテンションが維持されていていい感じでした。それだけに言いたいことが出てきたというか。やはりこういう映画は映画館で観ねば意味が無いですね。完全なエンターテイメント作品だと思います。
と言うのとは別の次元でレーティングが甘い気もしました。そもそもR-15なんていうもののドコに意味があるのか知りませんし、グロ耐性の無い人に対するアナウンスとしての意味だとするなら、なんで年齢で区切るか分からないけど、例えば、大規模・大都市の映画館では控える、深い時間に上映するとか…。「あの学校タチが悪いらしいよね」くらいの周知は在った方が、良い気がしたデス。
大きなお世話なのでどうでもいいことですが。

たぶんいつだったか貴志作品に触れたことは何度かあると思うのですが、安直に言ってしまうと、『黒い家』のサイコパス妻が学校の先生だったら…を作品にしたのが『悪の教典』だと思うのですが、観終わってから何点か気になることはあるかなぁと思いました。
映画におけるサイコパス(シリアルキラー)像っていうのが勝手に自分の中で出来上がっていて、つまり彼らはすごいキッチリした価値判断で行動し、その価値判断以外に行動を阻害する観念は無い、そんな人間たちがサイコパスであるんだろうと思うんですよね。
で、この映画で一番引っかかったのは、「自分にとって都合のいい様に世界をデザインできる」ということに対して何の疑いも持たない男が、そういう価値基準に則って生きているのにも関わらず、教師として教え子と性的関係になることを選択したことなのです。
話の流れから言うと、教え子から言い寄られて受け入れたわけだけど、一番ベストなのは躊躇せず拒絶することだろうと思うのですよね。リスクが多過ぎるし、て受け入れた時点でバレてるし。バレたのは本の上の話でもあるけど、そうだとしたら脚本の問題なのでは…と思うわけです。
何かしら計画に破綻が無いとストーリーが始まらないし、その破綻を解決するために人を殺すことを厭わない、その厭わなさ加減がこの映画の惹きなので、前提として破綻が必要なのは、そりゃそうなんですけど…。
『黒い家』の奥さんは「金が欲しい」から家族に保険掛けて好き放題するわけだけど、これくらい価値基準がシンプルでないと難しいのかなと思います、シリアルキラー系は。
そもそもよく考えると、「自分にとって都合のいい様に世界をデザインできる」と思い込んでいる男が、「人を殺す」選択を生きていく過程で必然によって選ぶのは有り得るけど、快楽殺人者に誘われて一緒に殺人の経験値を上げていく選択を選ぶ必然なんてあるのか…と。その必然が描かれていればまた違ったのか。
■とは言え
観終わってから、思い起こして、書いている、に過ぎないだけで、鑑賞中はかなりテンションが維持されていていい感じでした。それだけに言いたいことが出てきたというか。やはりこういう映画は映画館で観ねば意味が無いですね。完全なエンターテイメント作品だと思います。
と言うのとは別の次元でレーティングが甘い気もしました。そもそもR-15なんていうもののドコに意味があるのか知りませんし、グロ耐性の無い人に対するアナウンスとしての意味だとするなら、なんで年齢で区切るか分からないけど、例えば、大規模・大都市の映画館では控える、深い時間に上映するとか…。「あの学校タチが悪いらしいよね」くらいの周知は在った方が、良い気がしたデス。
大きなお世話なのでどうでもいいことですが。