2011年01月28日

問題の所存

第2次炎の4連勤終わったー。あとはレポートをひとつでっちあげて1月終わりだし今日書いてしまおう。と思ったら31日にナイトパック入れられて心が折れた。
帰宅しました。


■caritas et amour(自分向けメモ)

前に書いた話は宗教的愛についての僕の考えを書いた話なのですが強烈な違和感があって、今日他大のドクターとマスターの人たちと話していたら分かった。

・カトリックには厳密な教義がある
・論理的解釈により理念として全てのものが悉く定義しているという
⇒理念としての愛について定義も可能

という感じにスタートして「愛には見返りが想定されている」という見地に到達したわけです。
具体的には主にロマ12章1節とガラテヤ5章22-23節を用いた推論だったわけですが、推論自体は間違っていないけども、「愛に見返りを期待してはいけない」という基本的教義により反証されてしまいました。アホや…。具体的にはコリント(1)13章4-7節…。

コリント(1)13:4-7は「愛の定義」についての箇所なのですが、昔の人間が理念として「愛」をどう認識していたのかを考えているのです。
聖書からのメンタリティ考察の限界だよ…。

昔の本に事実として「見返りの愛」は言及されているから、そんなに考えることでもないかもしれないですが、「愛と見返り」という考えが想定された根拠を求めているわけです。

卒論ではある問題についてのメンタリティとリアリティの格差を扱うのですけども…うーん。ちなみに「ある問題」は「愛」ではないですが、愛が絡む問題なの…。
自分でも何やってるか分かんなくなって帰った。

昔の人間が愛をどう捉えていたか聖書から解釈しようとしたが、今回の方法では失敗した
って感じかね。
愛と見返りの根拠はどこにあるの…?


■冬

「髪を上げたら寒くて男の子すげえ」という姐さんのログ読んで言わせていただくと、寒いのにスカートはいてる女の子の方がよっぽどだと思います。
それが当たり前になってるのがまた信じらんない。
タイツ穿いてるとか答になってないから。
しかも正装でもあるという…。

ガンバレ女の子。


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